気持ちはいつもケセラセラ♪

5年に渡る姑の介護記録とその後の私の徒然日記

義母の「作話」の意味するところはわかるけど

こんにちは。

ご訪問ありがとうございます。


今日は良いお天気になりましたが、少し風が強いせいか寒さを感じますね。

木曜日までは良いお天気だとの予報ですが、金曜日はお天気が崩れるらしい。

○ヨさんの通院日なのに、雨や雪だと嫌だなぁと思いますが仕方がないですね。


明日は節分、テレビやスーパー、コンビニなどで恵方巻の宣伝をしています。

先週○ヨさんの所に行った時も、○ヨさんが恵方巻のチラシを見ていました。

きっと、スーパーかコンビニで貰って来たチラシなのでしょう。

○ヨさん、恵方巻でも買って来て食べたいなぁと思ってるのかな?


恵方巻のチラシもそうですが、スーパー銭湯のチラシや着物の買い取りのチラシなど、

○ヨさんはとても大事そうに取っておいて、よく見ています。

そして、そのチラシは、「知り合いの人が持って来てくれたのよ。」と言うのですが

実際はポストに入って居たり、コンビニなどで貰って来たというところでしょう。

でも、○ヨさんはどうしていつも知り合いから貰ったと言うのかな?


そういった小さな「作話」を○ヨさんはよくします。

「ポストに入っていたの。」とか「コンビニにあった。」と言えばいいだけのことなのに

誰かが○ヨさんのためにくれたという「作話」の意味がわかりませんね。


食べたいなと思ったから、コンビニから恵方巻のチラシを貰って来た。

ちょっと行ってみたいなと思ったから、スーパー銭湯のチラシを貰って来た。

そういう事なのでしょうが、「自分が食べたい訳ではないけどチラシをくれた。」とか

「自分が行きたい訳じゃないけど、友達から誘われた。」とか、私に思われたいから?


まぁ、大体○ヨさんの「作話」の意味するところはわかるのですが

○ヨさんが何故そういう「作話」をするのか、というところが理解出来ませんね。

理解出来ないのは、元々の物事に対する考え方が違うから、なのかも知れませんね。



最後まで読んで下さってありがとうございます。

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