義母の「作話」の意味するところはわかるけど
こんにちは。
ご訪問ありがとうございます。
今日は良いお天気になりましたが、少し風が強いせいか寒さを感じますね。
木曜日までは良いお天気だとの予報ですが、金曜日はお天気が崩れるらしい。
○ヨさんの通院日なのに、雨や雪だと嫌だなぁと思いますが仕方がないですね。
明日は節分、テレビやスーパー、コンビニなどで恵方巻の宣伝をしています。
先週○ヨさんの所に行った時も、○ヨさんが恵方巻のチラシを見ていました。
きっと、スーパーかコンビニで貰って来たチラシなのでしょう。
○ヨさん、恵方巻でも買って来て食べたいなぁと思ってるのかな?
○ヨさんはとても大事そうに取っておいて、よく見ています。
そして、そのチラシは、「知り合いの人が持って来てくれたのよ。」と言うのですが
実際はポストに入って居たり、コンビニなどで貰って来たというところでしょう。
でも、○ヨさんはどうしていつも知り合いから貰ったと言うのかな?
そういった小さな「作話」を○ヨさんはよくします。
「ポストに入っていたの。」とか「コンビニにあった。」と言えばいいだけのことなのに
誰かが○ヨさんのためにくれたという「作話」の意味がわかりませんね。
食べたいなと思ったから、コンビニから恵方巻のチラシを貰って来た。
ちょっと行ってみたいなと思ったから、スーパー銭湯のチラシを貰って来た。
そういう事なのでしょうが、「自分が食べたい訳ではないけどチラシをくれた。」とか
「自分が行きたい訳じゃないけど、友達から誘われた。」とか、私に思われたいから?
まぁ、大体○ヨさんの「作話」の意味するところはわかるのですが
○ヨさんが何故そういう「作話」をするのか、というところが理解出来ませんね。
理解出来ないのは、元々の物事に対する考え方が違うから、なのかも知れませんね。
最後まで読んで下さってありがとうございます。