気持ちはいつもケセラセラ♪

5年に渡る姑の介護記録とその後の私の徒然日記

義妹の人生

2015年2月15日


今日はお天気が良かったので、夫はパラグライダーに出かけて行きました。

でも、風が強かったので、飛ぶことは出来ずに帰って来たようです。



昨日夫から2万円を受け取った○ヨさんは、真っ先にCさんに返済をしてくれたでしょうか。

美容院にはもう行って来たのでしょうか・・・。


夜7時40分頃、いつものように電話を入れましたが○ヨさんは出ません。

きっと、灯油の無駄だから、眠らなくてもベッドに入ろうと思っていた○ヨさんは

いつの間にか、睡魔におそわれ、眠ってしまったのでしょう。


今日は○ヨさんの事で何も書くことが思い当たりません。

何も書くことがないということは、平和で穏やかで幸せだということですね。


今日は介護とは関係なく、既に亡くなってしまった義妹について書いてみようと思います。


50代半ばで逝ってしまった義妹○美ちゃんですが、夫とは2歳違いの妹でした。

夫の家族の中でただ1人、常識的な賢い人で、私は小姑である○美ちゃんが大好きでした。


私が義妹である○美ちゃんと初めて会ったのは、○美ちゃんが19歳の頃でした。

夫との結婚が決まり、夫の実家に遊びに行った時に会ったのが最初だったと思います。


当時、○美ちゃんは大手都市銀行に勤めるОLさんでした。

恋愛をして、失恋をして、片思いだった初恋の人と再会し、その初恋の人と結婚しました。


結婚相手の実家がみんな○○学会の信者だったことで、義父も義母もその結婚に反対でした。

でも、○美ちゃんのお腹の中には、既に新しい命が宿っていました。

それで、○美ちゃんは大好きな人と目出度くゴールインすることになりました。


義母はいつも、「○美ちゃんは苦労ばっかりして、本当に可哀想。」とか

「気難しい旦那に気ばかり使って、何にも楽しい事がなくて、可哀想」とか言っていますが

決して、○美ちゃんはそんなに可哀想な人生だったとは、私には思えないのです。


晦日にみんなで実家に集まった夜、○美ちゃんの旦那様は大分酔っていました。

実家から歩いて3分のアパートに帰った○美ちゃんと旦那様。

「もっと飲むから、酒をくれ。」と言った旦那様に「もう大分飲んでるからやめたら?」

そう言って嗜めようとした○美ちゃんを、酔っ払っている旦那様は殴ったらしいです。


その話を後から聞いて、義母○ヨさんは大憤慨!!

「だから、あんな男と結婚なんかさせるんじゃなかった。○美ちゃんが本当に可哀想。」

「離婚でもしていつでも○美ちゃんを返して欲しい。」と言っていましたっけ。


私には、「殴られるような事を言うから殴られるんじゃないの?」と言ってた○ヨさん。

自分の娘が殴られれば、話は違うんですねぇ・・・(^-^;

でも、後にも先にも、○美ちゃんが旦那様に殴られたのは、その一度だけなんですけどね。


○美ちゃんは賢い人ですから、それ以後、大好きな旦那様を怒らせるような事は言いません。

自分が間違っていないと思ったら、殴られるとわかっていても思っている事を言ってしまう、

そんな、学習をしないおバカさんな私とは違っていました。


小姑が2人もいて、それなりに気を使ってはいたでしょうが、

友達とテニスを楽しんだり旅行に行ったり、旦那様が寝ている間にコッソリ飲みに出かけたり、

結構、息抜きも出来ていた○美ちゃんです。


まだ50代半ばで、自分の母親より先に逝ってしまう心残りはあったでしょうが、

やりたいこともまだたくさんあったでしょうが、決して不幸な人生ではなかったと思います。


大好きだった人と結ばれ、その旦那様に十分愛されていた幸せな人生だったと思います。


火葬場で、○美ちゃんの骨が出てきた時に、

「○美~~!!」って、大きな声で、泣き叫ぶ旦那様の姿が、今でも目に焼き付いています。



○美ちゃんは、愛する人に看取られて、幸せな最期だったろうと思います。




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